『Counter strike online』サービス終了を受けて、記憶の扉が開いた話

ーーー12月13日、18時30分頃

 

 

 

自分「今日も疲れたな、ツイッター見よ」

 

 

 

 

 

自分「ん?」

 

 

 

 

 

 

 

自分「えっ」

 

カチャッ(記憶の扉の鍵が開いた音)

f:id:val011:20181220145359p:plain

 

 

 

自分「あっ」

 

バーン(記憶の扉が開いた音)

f:id:val011:20181220145501p:plain

 

 

 

自分「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」

 

 

 

◯ ◯ ◯

 

f:id:val011:20181220145723j:plain

Counter strike online』(以下、CSO)とは、現在「steam」を運営しているValve社からライセンスを取得したNEXONが、共同開発、運営を行っていたゲームだ。

初リリース日は2008年、サービス終了まではおよそ9年ものあいだ運営されてきたご長寿ゲームであり、メイプルストーリー」「マビノギ」「サドンアタック」・・・。現在もサービスが継続されているオンラインゲームと肩を並べる、NEXONの看板タイトルである。

一方でチーターが多すぎることでも有名なゲームであり、近年ではNEXON自体もチート対策を行って来なかったため、愛想を尽かしたプレイヤーが離れプレイ人口は減少。結果として、今回のサービス終了に踏み切ったのだろう。

 

そんな自分は今回のツイートを見た瞬間、記憶の扉が開き、過去の記憶がドバドバと流れてきた。

 

かつて小学校高学年だった自分は、友人からこのゲームをおすすめされ、居間にあった父親のパソコンで「CSO」をプレイしていた。友人を差し置いてこのゲームにどハマりし、夜中にこっそり居間に行ってプレイをし、父親に見つかってこってり絞られるという苦い記憶も蘇ってきた。

こんなにもハマった理由として、人生初FPSゲームである「CSO」は、自分にセンセーショナルな体験を多くもたらした。人が初めて「マリオ」を遊んだ時のような、初めて魚を釣った時のような、一人暮らし初日のような感情を揺さぶられる体験だ。そして「CSO」は自分にオンラインの世界に触れることの知識を与えてくれた。顔も名前も知らないプレイヤーとの、学校で友達と会って話をするとは全く違う、つまりはネットリテラシーを教えてくれたゲーム。今も昔もネットが原因で起こるトラブルというのは多いが、これまでの人生でトラブルに見舞われなかったのはスマホも無い時代に鍛えられたことが要因であると思う。

 

「人間は知識と経験の物語によって身体を構成されている」・・・というのは自分の考え方の一つであり、今回の話の本質とはずれるため省略するが、つまりは幼少期の自分を作ったゲームの一つであることを伝えたい。

 

今回の記事では当時「CSO」をプレイした時の感想、そしていかにセンセーショナルな体験であったかを記していく。本稿に関して留意していただきたいのは、およそ10年前の記憶から構成されるあまりにも主観的な記事であること。また最近「CSO」をプレイして来なかったこともあり現在とは仕様が全く違う可能性もある。というか絶対違う。

 

「サービス終了しちゃうけど、CSOってこんなに面白かったよ!」ということを全く知らない人たちに届けば幸いである。

 

 

リアルな表現はいらない

f:id:val011:20181220145854j:plain

CSOってどんなゲームだ・・・?」と思い画像検索した人たちの感想は「古っ」という感想が多いと思われる。

現在発売されている「CoD:BO4」「BF5」と比べると確かに古臭く、リアルでは無い。テクスチャはのっぺりしているし、お世辞にも背景やキャラの表情は綺麗では無い。元々は「Half-life」という伝説のゲームのMODから生まれた「Counter-strike」そこから発展した「CSO」は紛れもなくテクスチャを受け継がれている。覗き撃ちもなく、「R6S」のようなユニークなガジェットも無い。「今更こんな古臭いのはちょっと・・・」という声が聞こえそうだ。

 

だが過去の自分にとって、そして今でも思うのはこれくらいがちょうどいいのだということ。リアルすぎる表現は、逆に酔いと敵の見えにくさを与えてしまっている事実がある。相手チームの衣装がハッキリしていること、のっぺりとした背景は逆に敵の姿をくっきりと写しているため「CSO」は非常に画面が見やすい。

そもそもゲームとは複数のオブジェクトによって構成されているものである。場所を移動し、敵を見つけ、右クリックで敵を撃ち殺す。FPSにおける基本的なムーブであるこの行動は阻害されてしまっては楽しみが見出せない。「FPSは何故面白いのか?」という原始的な疑問の回答は、「リアルな表現が凄いから」では無い。「敵を撃ち殺せる」から面白いのだ。

小学生の自分はこの原始的な面白さに魅了された。尖ったものがなく、ただまっすぐにFPSの面白さを前面に出したこのゲームに貰った感情はその後のFPSを楽しむ原動力となっている。

(CoDやBFはリアルすぎてクソ!ということでは無い。そっちも面白いけどFPSの基本を刺激してくれたのはCSOです、という話です)

 

弾を避けるゾンビ

f:id:val011:20181220150013j:plain

CSO」はオンラインゲームであるため、当然味方や敵にもそれを操作する人間が存在する。名前も顔も知らない人たちと戦場で協力し、意思を持った敵を倒す。ただプログラム通りに動く従来のゲームをやっていた自分にとって、これほど驚きに満ちた体験は無かった。

例えば前線に仲間と共に進み、敵に接敵する。互いにカバーしながら敵を撃ち殺し、チャット欄には「A地点に進むぞ!」というメッセージが表示される。A地点に向かうと同じようにたどり着いた仲間たちがいて、敵の攻撃を守りながら制圧する。陣営勝利した際には、互いに祝福のメッセージを送り合う・・・。

 

なんと、なんと素晴らしいひとときだろうか。これほど「人間の意思」を感じ取れるゲームプレイはあるだろうか。しかも友達でもなんでも無い人たちなのに。自分の感情も画面の向こうの人間の感情も漏れ出しているような感覚である。

友達と一緒に遊べば同じような経験は得られる。しかし、一度家に帰ってしまうとゲーマーは孤独なのだ。NPCとの会話も、どんなに人間味溢れるセリフであっても、セリフを打ち込んだ人間がいると考えてもオフラインゲームは冷たく、機械的に感じてしまう。会話ボタンを連打すると同じことしか話さないせいだろうか?

 

チームデスマッチというのは自分一人だけでは決して勝てない。仲間の協力があって初めて勝利が得られるものだ。チャットで見られる「意思」と、その場の状況で生じる見えない「意思」の疎通があって画面の向こう側の人と協力できる。ネットが普及し、オンラインが当たり前になった現代では当然の体験であるが、当時はとても素敵に感じた。

 

 

また、見えない「意思」を究極的に感じ取ることが出来るモード、それは「ゾンビモード」である。

 

このモードは「CSO」をプレイしてからしばらくたって実装されたモードであり、自分はこのモードも大いにハマった。特殊能力を持ったゾンビが多く実装されたのちに、所謂ゾンビキャンペーンが実装された記憶がある。現在では「left4 Dead」や「CoD:BO」のゾンビモードなど、有名で非常に面白いゾンビモードはあるが、「CSO」の特徴は16対16のチームデスマッチである点だ。つまり敵キャラクターであるゾンビにも人間が操作していることになる。

 

想像出来るだろうか

 

弾を避けるゾンビ。ピョンピョン跳ねるゾンビ。屈伸してアピールするゾンビ。陣形を組みながら襲ってくるゾンビ。物陰に潜み、背中から不意打ちするゾンビ・・・。

 

 これほど人間臭いゾンビが過去にも今にもいただろうか。

「left4 Dead」の優秀なAIを搭載したゾンビたちは賢く、波状攻撃によってプレイヤーを大いに苦しませるが、アイテムを使用しゾンビの動きを学習したら対処はまだしやすい。だがこの人間の意思が宿っているゾンビたちは、時に作戦を立てながら襲い、こす狡く襲い、腹筋を破壊してくる。

だが実装直後はあまりゾンビはあまり脅威では無かった。課金限定の非常に強いマシンガンを持った猛者がゾンビを蹂躙し、いつのまにか勝っているという状況が続いた。だがその後のアップデートにより、肉壁となる巨漢ゾンビや、透明化になれる女ゾンビ、爆発したら人間を吹き飛ばすグレネードを持つゾンビなど、特殊能力系のゾンビが多く実装された。人間サイドはガジェットや特殊能力が追加されることがなかったため、次第にパワーバランスはゾンビ側に傾いてきたのだ。

もちろんゾンビ側もプレイしてどちゃくそ楽しい。ゾンビに一回に切られると人間はゾンビになるのだが、集団で固まっている人間サイドの一人がゾンビになった瞬間、画面は阿鼻叫喚となる。ネズミ算方式で増えるゾンビ、思いっきり逃げる人間、発狂したようにマシンガンを打ち続ける人間、どちゃくそ面白い。

 

無論ゾンビモードもオンラインの人たちの連携が欠かせない。人間サイドもゾンビサイドもある程度集団で固まったり、裏から攻めたりと作戦を立てる必要がある。そしてそれらの作戦は自然と定まっているものであり、「勝つ」という意思が団結を生んでいる。そして勝利した時、何にも変えがたいカタルシスを生むのだ。

 

 

スマホの発達により、オンラインゲームが当たり前になった現代。上記にあげたセンセーショナルな体験やカタルシスの感情は多くの人はとっくの昔に感じ取っているのだろう。ここまで読んでくださった方々の思い出に残っているゲームは何であろうか。もしもそんなゲームを心の内に秘めている、覚えている人がいたらその記憶を大事にしてもらいたい。幼少期に遊んだゲームというのはその人個人の根幹を作り上げている。同時に、「ゲームって楽しいな」という思いを作り上げている。

サービス終了が決定した「CSO」 何とも寂しいが、これを読んでもらった人にはぜひ一度は遊んでもらいたいタイトルだ。